プロローグ バレエの申し子
バレエの申し子/福田阿佐美から牧阿佐美へ/母と東京バレエ団の『白鳥の湖』/橘秋子と小牧正英の姿勢/バレエ団とバレエ学校/バレエ教育への情熱/橘秋子記念財団とジュニアバレエ/私の生徒たち─AMスチューデンツ
■第一章 橘秋子と牧幹夫
モダンな先生・橘秋子/リトミックからバレエへ/チェケッティとロッシ/チェケッティとバレエ教育の基本/ロッシからパヴロバへ/エリアナ・パヴロバ・バレエ団/アメリカ人として育った牧幹夫/橘秋子と牧幹夫の計画/ムーラン・ルージュに出演/橘秋子と東勇作/東勇作と蘆原英了、オリガ・サファイア
■第二章 二人の母
生まれてすぐに母の手を離れる/はじめは佐貫阿佐美だった/養父母のこと/私の原風景/四歳で初舞台をふむ/父の性格、母の性格/父はなぜインドへ去ったか/名古屋の一年/宇都宮の幼稚園へ/バレエ教室に通う小学生/疎開先で成績が上がる/中村の家と佐貫の家/福田の家で母と暮らす/中村の父と母、その後
■第三章 運命を踊る
明星学園に入学する/武者小路実篤先生が保証人だった/母はバレエ教育に重点を移す/『白鳥の夢』を作る/福田阿佐美披露公演/ベビーバレエ団の意味/大人のバレエ団と子どものバレエ団/福田阿佐美から牧阿佐美へ─橘バレエ学校の誕生/『運命』を踊る/『運命』の思い出/新校舎の喜び/『運命』の主題/『銀河鉄道の旅』と武満徹の音楽/「実験工房」の芸術家たち
■第四章 ダニロワの教え
スラヴェンスカ・フランクリン・バレエの来日/アメリカへ行くのが怖かった/ダニロワの二十世紀/私の好運/ダニロワ先生のパーティ/ダニロワ先生と汽車でニューヨークへ行く/ダニロワのカリキュラム/日本のレッスンとの違い/いい教師は世界にも少ない/シュベッツォフ先生の教え方/自分で知っている範囲でまとめないこと/ニューヨークでの生活/素顔のダニロワ先生/ダニロワ先生の優しさ/ダニロワのディナー・ショー
■第五章 牧阿佐美バレエ団へ
母のバレエ早期教育への情熱/子どもたちのためのバレエ作品/大原永子が母の養女になる/ダニロワ日本公演1955/牧阿佐美バレエ団の誕生/ダニロワ最後の日本公演/全幕バレエへの道/カボチャ畑の『コッペリア』/一九五〇年代のバレエ界/なぜ職業バレエ団か/テレビと少女雑誌/アキレス腱を切る
■第六章 創作の歓び
東京文化会館での事故/二つの『飛鳥物語』/橘秋子の創作のあゆみ/『飛鳥物語』『角兵衛獅子』『戦国時代』/日本のバレエとは何か/『バレエフレンド』創刊/大原永子と森下洋子/一九六〇年代のダンサーたち/処女作『夢を喰う女』と加藤みよ子/『アダムとイヴ』の音楽/『アダムとイヴ』で描きたかったもの/『惑星』の宇宙感覚/食らいついてくるダンサーたち/『トゥリプティーク』/『ブガク』と『シルクロード』/コリオグラファーとしてのデビュー
■第七章 母の死
私は親孝行ではなかった?/創作における母と私/母が日本のバレエ界に残したもの/母が作ったバレエ団の雛形/母が江川明に与えたもの/小林恭と一九七〇年前後のバレエ界/三谷恭三の登場/倒れた母を抱えて/橘秋帆の名義と富ヶ丘の新校舎/父の死/最後の舞台/母の追悼公演と、大原永子と森下洋子の不在/服部先生と島田先生の配慮/母の三つの作品/橘秋子記念財団の設立/ジュニアバレエ発足/財団設立と四十年会
■第八章 AMスチューデンツ誕生
東京バレエ団の活躍/佐々木忠次の仕事/大原永子の焦燥/ダンズィヒとカーターの招聘/英国バレエの背後にあるもの/二十周年記念公演『ラ・シルフィード』/テリー・ウエストモーランドの招聘/ジュニアバレエからAMスチューデンツへ/ヨーロッパ・ツアー/AMスチューデンツ誕生/舞台に立ち始めた私の生徒たち/ジュニアバレエとAMスチューデンツ/ダニロワ先生との再会/ダニロワのコッペリア
■第九章 日本のバレエを求めて
三谷恭三と『海』/橘秋子の精神/橘秋子賞のこと/第一回受賞者は谷桃子と東京バレエ団/橘秋子十三回忌特別公演/第一回日本バレエフェスティバル/日本のバレエを求めて/アメリカ女性にチュチュは似合わない?/『飛鳥物語』の変容/『ジパング'89 』の試み/ペテルブルグとモスクワで踊る/『戦国の恋』から『北斗』へ/ダンス・ヴァンテアンとロラン・プティ
エピローグ 私の生徒たちへ
ロイヤル・バレエ学校で教える/服部智恵子の教え/服部智恵子と島田廣/パリ芸術座バレエ/メッセレルの言葉の力/ダンサーの眼と教師の眼/舞踊という音楽を聴く歓び/ダニロワ先生の教えと母の教え