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寺山修司と生きて
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寺山修司と生きて

著者 田中未知
ジャンル 一般書 > 文芸書 > 評論
発行形態 書籍
発売日 2007/05/09
判型・ページ数 4-6・382ページ
商品コード 9784403210945

価格2,090円(税込)

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内容説明
はじめに――言葉は流転する
初めての出会い/死んだ人はみんな言葉になるのだ
コラージュとしての共生/むしろ、寺山修司たれ!

第1章 他者を映し出す鏡
〈鏡の魔力〉をもつ男/寺山の伝記作者たち/俳句の世界/文学はコラージュであり、モンタージュである/なぜ短歌は虚構の物語にならなければならなかったか/すぐれた文学は本質的には匿名的なものだ/みずからを不具にする集大成/寺山修司 中心への旅/中心ばかりがあらゆるところに遍在している/〈私さがし〉のこだわり/鏡に吸い込まれるという誘惑/自分自身の父親である私自身を複製化すること/寺山修司は「王様」だった/寺山に代わって「ノー」と言いつづける/私の職業もまた寺山修司だった/オランダに渡り、ヨーロッパの山々を歩く/オランダの自然に取り囲まれて/「時間の原子」を感じた瞬間/ジャン=ジャック・ルソーの愛した自然ということ/「時間って縦軸ではなくて横軸なんだよね」/ボルヘスのフネスが意味すること/「からだはからだ」/アントナン・アルトーと寺山修司/《部分演劇》から《全体演劇》へ

第2章 天井桟敷の現場から
一九六〇年代、七〇年代の演劇の現場/「すべては寺山修司のため」だった/『青森県のせむし男』と下馬町二五七番地/『書を捨てよ町へ出よう』と十代の詩人たち/「時には母のない子のように」とカルメン・マキ/『邪宗門』と市街劇『人力飛行機ソロモン』/『邪宗門』凱旋公演の緊張/オリンピック芸術祭参加のために田中角栄に手紙を書く/反体制であるとはどういうことか?/水のセレモニーで始まり、火のセレモニーで終わった野外劇/『地球空洞説』、そして『ノック』/天井桟敷は「集団の地震源」だった/密室劇『阿片戦争』、暗闇劇『盲人書簡』から後期三部作へ/『疫病流行記』、『阿呆船』、『奴婢訓』の衝撃/「包帯の川」、「大滅亡シーン」の誕生/『阿呆船』で開花したハカセの才能/ペルセポリス国際芸術祭での『阿呆船』公演/再び、反体制であるとはどういうことか?/『奴婢訓』の照明家として/ひとりきりの照明家の苦労/アメリカの女性照明家の体力に敬服/磨きに磨かれた『奴婢訓』/寺山の心を生かせば、寺山の身を滅ぼすという矛盾/『百年の孤独』、寺山修司の完璧な暗転/『レミング』─最後の演出/『レミング』、カラーがモノクロになった瞬間/生まれて初めての本音

演劇に関する40の質問

第3章 母地獄
不思議な関係/現在に過去は無用/伝記を書くことの詩と真実/母なるもの一般と、現実の母/縛られる少年、鞭打つ母/おふくろから逃げるために結婚した/初めて接した寺山はつ/三人の異なる母/寺山修司から寺山はつへ宛てた葉書/寺山修司から寺山はつへ宛てた手紙/寺山修司から寺山はつ宛の葉書と手紙/坂本きゑから寺山秀子に宛てた手紙/寺山はつから寺山修司に宛てた一九六八年五月の手紙/渋谷に天井桟敷館がオープンしてからの緊張/「非常口をこわす」という脅迫/建物に火をつけるという脅迫/「修ちゃんの嫁は私が決める」/寺山はつから寺山修司へ宛てた一九七五年の手紙/「田中を殺して私も死んでやる!」と言われて/「人との別れ」が耐えがたかった寺山/美しい母子譚の背後にあるもの/友だちを作らなかった寺山はつ/寺山はつ、家出の真相/鍵を握った母/寺山修司の母と坂口安吾の母/母を「あなた」としか呼べなくなった寺山/『レミング』に描かれた母子関係/三田の家/三田への移転/最後の日々/告げ口する人々/松風荘、立ち退き話/三軒茶屋の家/寺山はつの縁切り状/なぜ暗躍する人々がいるのか理解できない/『テラヤマ・ワールド』/最後の電話

第4章 病気を生きる
ほとんどずっと病気だった寺山修司/白金の北里大学付属病院で/ただひとり、寺山の肝硬変を知ったとき/病状を本人に知らせずに他人に明かす名医/他人の死の情報を弄ぶ人たち/遠くから心配でたまらないと語る人々/記憶を変え、事実を曲げる人々/現実に寺山の病気と闘ったのは誰なのだ?/寺山を看病しながら自分が衰弱してゆく/付和雷同するマスコミ/休養地になったオランダ/愛犬ニーチェの死/命が長くないと聞いて取材してくる人々

第5章 最後の映画撮影
医師・庭瀬康二の登場/GOT数値を気にしながら沖縄へ向かう/『さらば箱舟』沖縄ロケの現場で/ストッパーの未知と言われて/山崎努さんが連れてきてくれた漢方薬の先生/血液採りに来て忘れてゆく医者は信頼できない/GOTパーティ、そして『現代詩手帖』の座談会/座談会「死はフィクションになりうるか」を批判する/富岡多恵子「踏みこむ」が指摘したこと/病人の立場に立って書いてくれた富岡多恵子/「四月」を思い出すことの苦痛/「治療プランと創作活動」という発想/向こう側とこちら側から見た寺山の病態/庭瀬医師の知らなかったこと/「あと何年生きるか」による選択、とはどういうことか/「患者の気持が読み取れない傲慢な医師」/「私の健康が私に何のかかわりがあろうか?」

第6章 寺山修司の死
「ぼくはたとえ誤解で殺されたとしてもかまわないね」/時代の責任を取ることができると信じる人たち/「仕事が一番」の人々/寺山修司を見守った女たち/最後の日々/ロゴスキーでの最後の食事、三島由紀夫のこと/横浜の記者会見から帰って、熱が上がる/「バカがつくほどのお人よし」/なぜか入院をしぶりつづけた寺山/無尿の時に使ったラシックスの注射?/脱水症状、ショック症状、敗血症/四月二十一日、深夜/緊急入院するまで/庭瀬医師が口にした信じられない一言/記者会見まで/入院して一週間が過ぎる/最後まで寺山が生き返ると信じてそばにいた/一九八三年五月四日午後〇時四分

寺山修司への25の質問


あとがき