内容説明
和辻哲郎はハイデガーをどこで乗り越えようとしたか? ドイツの俊英が現代日本の思想の可能性とその射程を解明する!
この学位論文は、おそらく外国人の手による、日本のヨーロッパ思想受容についての研究としては、群を抜いて深く犀利なものだと言えよう。私も最近、ほかのきっかけから、1913年に『ニイチェ研究』を書き、1915年に『ゼェレン・キェルケゴオル』を書いた和辻哲郎の先見性、勘のよさに驚嘆し、あの時点でどうしてこういうことが可能だったかを確かめてみたいと思っているので、いっそうその思いを深くしている。――木田元
まえがき
日本版へのまえがき
序 論
第1章 日本の思想の受容構造についての考察
「日本思想」か、それとも「日本の思想」か
日本論――自己省察と自己主張
日本思想の不連続性
日本的歴史意識の「執拗な持続低(basso ostinato)」
自己固有なものへの向かい方と異他的なものに対する関係
日本的歴史意識とニーチェの『反時代的考察』第二篇――「選択的摂取」の解釈学的 検討
「選択的摂取」の批判
第2章 日本のハイデガー受容におけるパースペクティヴ的統合の役割
手短かな概観
「有の問と絶對無」――辻村公一のハイデガー解釈
「日本とハイデガー」
辻村のハイデガー解釈と京都とメスキルヒの対話に対する異議
異他的なものの侵入と自己固有なものの歴史とのあいだで――和辻の解釈学的状況
ハイデガーへのアプローチの仕方という点での和辻と辻村の相違
第3章 和辻の人間(ダーザイン)とハイデガーの現存在(ダーザイン)の規定について
現存在を「人間」とみなす伝統的解釈を和辻がつかみとる仕方
ハイデガーの現存在分析への和辻の批判
「存在」と実存
和辻の人間の弁証法的規定――個人に対する社会の優位
和辻とハイデガーの本来性の概念について
空間性と時間性
和辻の人間分析の批判的検討
第4章 和辻の解釈学のコンテクストでの「空」の概念
被投性と企投――ハイデガーの本来的自己了解の可能性と限界について
本来性と非本来性の関係規定について
解釈学的現象学か、それとも解釈学か?
ハイデガーの現象概念の和辻による改釈
日常的了解の構造
了解の「超越論的」意味
間柄の時間性
間柄の歴史性
風土論
日常的了解と哲学的理解
結 論
跋――ハンス・ペーター・リーダーバッハ君のこと 木田元
訳者あとがき
人名索引
この学位論文は、おそらく外国人の手による、日本のヨーロッパ思想受容についての研究としては、群を抜いて深く犀利なものだと言えよう。私も最近、ほかのきっかけから、1913年に『ニイチェ研究』を書き、1915年に『ゼェレン・キェルケゴオル』を書いた和辻哲郎の先見性、勘のよさに驚嘆し、あの時点でどうしてこういうことが可能だったかを確かめてみたいと思っているので、いっそうその思いを深くしている。――木田元
まえがき
日本版へのまえがき
序 論
第1章 日本の思想の受容構造についての考察
「日本思想」か、それとも「日本の思想」か
日本論――自己省察と自己主張
日本思想の不連続性
日本的歴史意識の「執拗な持続低(basso ostinato)」
自己固有なものへの向かい方と異他的なものに対する関係
日本的歴史意識とニーチェの『反時代的考察』第二篇――「選択的摂取」の解釈学的 検討
「選択的摂取」の批判
第2章 日本のハイデガー受容におけるパースペクティヴ的統合の役割
手短かな概観
「有の問と絶對無」――辻村公一のハイデガー解釈
「日本とハイデガー」
辻村のハイデガー解釈と京都とメスキルヒの対話に対する異議
異他的なものの侵入と自己固有なものの歴史とのあいだで――和辻の解釈学的状況
ハイデガーへのアプローチの仕方という点での和辻と辻村の相違
第3章 和辻の人間(ダーザイン)とハイデガーの現存在(ダーザイン)の規定について
現存在を「人間」とみなす伝統的解釈を和辻がつかみとる仕方
ハイデガーの現存在分析への和辻の批判
「存在」と実存
和辻の人間の弁証法的規定――個人に対する社会の優位
和辻とハイデガーの本来性の概念について
空間性と時間性
和辻の人間分析の批判的検討
第4章 和辻の解釈学のコンテクストでの「空」の概念
被投性と企投――ハイデガーの本来的自己了解の可能性と限界について
本来性と非本来性の関係規定について
解釈学的現象学か、それとも解釈学か?
ハイデガーの現象概念の和辻による改釈
日常的了解の構造
了解の「超越論的」意味
間柄の時間性
間柄の歴史性
風土論
日常的了解と哲学的理解
結 論
跋――ハンス・ペーター・リーダーバッハ君のこと 木田元
訳者あとがき
人名索引